相続が発生すると、被相続人(亡くなった方)の財産だけでなく、借金などの負債も一緒に引き継ぐのが原則です。このとき、相続人が何も手続きをせずに遺産を使い始めると「単純承認」となり、被相続人の借金も自分の財産と同じように返済する義務を負うことになります。
こうしたリスクを避ける方法として、よく知られているのが相続放棄や限定承認ですが、実はもう一つ、「財産分離」という制度があります。
財産分離とは、相続債権者(被相続人にお金を貸していた人)や受遺者(遺言で遺贈を受ける人)を保護するための制度で、被相続人の財産と相続人の財産を切り離すことを目的としています。
財産分離の目的
民法941条は、「相続債権者または受遺者は、相続開始から3か月以内に、家庭裁判所に財産分離を請求できる」と定めています。
つまり、被相続人に多額の借金があった場合などに、相続債権者が「相続人の財産と混ざってしまうと取り立てができなくなる」と判断したときに、相続財産を独立させることができる制度です。
この仕組みの本質は、「公平な清算」です。
相続財産を独立させることで、被相続人にお金を貸していた債権者が、相続人の私的財産に影響されずに、被相続人の遺産から返済を受けられるようにする一方で、相続人の固有財産を保護します。
逆に言えば、財産分離は相続人のためだけの制度ではなく、債権者・受遺者の保護制度でもあるのです。
民法941条
1. 相続債権者又は受遺者は、相続開始の時から3箇月以内に、相続人の財産の中から相続財産を分離することを家庭裁判所に請求することができる。相続財産が相続人の固有財産と混合しない間は、その期間の満了後も、同様とする。
2. 家庭裁判所が前項の請求によって財産分離を命じたときは、その請求をした者は、5日以内に、他の相続債権者及び受遺者に対し、財産分離の命令があったこと及び一定の期間内に配当加入の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において、その期間は、2箇月を下ることができない。
3. 前項の規定による公告は、官報に掲載してする。
財産分離の手続と期限
財産分離を求めることができるのは、「相続債権者」または「受遺者」に限られます。
これらの人は、相続開始を知ったときから3か月以内(または相続開始後3か月以内)に、家庭裁判所に申立てを行う必要があります。
申立てが認められると、家庭裁判所は公告を行い、他の債権者や受遺者にも一定期間内に申立てを促します。この公告期間は原則2か月以上で、官報に掲載されることによって全体に告知されます。
この仕組みにより、一部の債権者だけが得をすることを防ぎ、全ての利害関係者に公平な弁済の機会を与えるようになっています。
財産分離の効果
民法942条では、財産分離の効果について以下のように定めています。
民法942条
財産分離の請求をした者及び前条第2項の規定により配当加入の申出をした者は、相続財産について、相続人の債権者に先だって弁済を受ける。
これは非常に重要な規定で、財産分離の手続きを行った債権者や受遺者は、相続人自身の借金の返済よりも優先して、被相続人の遺産から弁済を受けることができるのです。
たとえば、被相続人の財産が500万円で、借金が800万円ある場合、相続人がそのまま承認してしまうと自分の財産からも返済する必要があります。
しかし、財産分離が行われれば、債権者はその500万円を相続財産として優先的に回収でき、相続人の個人資産には影響しません。
財産分離が利用されるケース
実際には財産分離の申立て件数は少ないのですが、たとえば次のような場合には有効な手段となります。
- 被相続人に複数の債務があり、相続人が放棄せずに承認している場合
- 債権者が相続人の個人資産と混同されるのを防ぎたい場合
- 受遺者が遺贈を受けられないおそれがある場合
こうしたケースでは、財産分離の申立てをすることで、他の債権者よりも優先的に弁済を受ける可能性が生まれます。
財産分離とほかの制度との違い
限定承認や相続放棄と違い、財産分離は相続人ではなく債権者側からの請求によって開始する制度です。
したがって、相続人が何も手続きをしなくても、債権者の申立てによって相続財産が独立的に管理されることになります。
また、財産分離は「相続財産の管理・清算」に関する制度であり、相続人の地位自体を変えるものではありません。その意味で、財産分離は「相続人を守る」というよりも、「被相続人に関係する利害関係者の公平を図る制度」と位置づけられます。
相続放棄や限定承認に比べるとあまり知られていませんが、被相続人の債務と相続人の財産を区別し、特に相続債権者が複数存在する場合や、遺贈の実現を守りたいときに効果を発揮します。
相続の現場では、放棄・限定承認・財産分離のいずれが適切かは、ケースによって異なります。もし相続人や債権者の立場で迷った場合は、早めに司法書士などの専門家に相談し、最も安全で確実な方法を選ぶことが大切です。
