相続とは、人が亡くなったときに、その人が所有していた財産や借金を、一定の親族が引き継ぐ制度です。民法882条によって、相続は被相続人(亡くなった人)の死亡と同時に当然に開始されます。つまり、何か手続きをしなくても、自動的に「相続のスタート」が切られてしまうのです。
しかし、引き継がれるのは財産だけではありません。借金や未払いの税金など、マイナスの財産も含まれます。こうした相続財産全体を無条件で受け継ぐ方法を「単純承認」と言います。一方で、プラスの財産の範囲内でのみ借金などのマイナス財産も責任を負う「限定承認」、あるいは相続そのものを放棄する「相続放棄」という選択肢もあります。
被相続人に大きな借金があると分かっていれば、単純承認を選んでしまうのは危険です。後から借金の存在を知って、すでに承認したとされると、取り返しがつかなくなることもあります。そこで重要になるのが、相続人がどの選択をするかを決める「熟慮期間」の考え方です。
相続の承認・放棄の選択期限(熟慮期間)
民法915条では、相続人は自己のために相続が開始されたことを知った日から3ヶ月以内に、「単純承認」「限定承認」「放棄」のいずれかを選ばなければなりません。この3ヶ月間がいわゆる「熟慮期間」と呼ばれるもので、熟慮期間の間に何も行動しないと、自動的に単純承認をしたとみなされます(民法921条2号)。
民法915条
1. 相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。
2. 相続人は、相続の承認又は放棄をする前に、相続財産の調査をすることができる。
民法921条2項
相続人が第915条第1項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。
たとえば、被相続人が亡くなり、自分が相続人であると知った日が4月1日だとすると、その日から起算して6月30日までに相続の方針を決めて手続きをとる必要があります。相続放棄や限定承認をしたい場合は、家庭裁判所に対して申述しなければなりません。
ただし、家庭裁判所に申請して期間の延長が認められれば、この3ヶ月の期限を延ばすことも可能です。相続財産の内容が複雑で、借金があるのかどうかすぐには分からないような場合には、必ず早めに延長申請を行うのが大切です。
相続放棄の判断と期限の起算点
民法915条の3ヶ月という期限は、単純に「被相続人が死亡した日」から数えるわけではありません。重要なのは、「自己のために相続が開始したことを知った時点」です。つまり、被相続人が亡くなった事実だけでなく、「自分が相続人である」と知ったときからカウントされるのです。
また、民法916条では「例外的に期間の起算点が遅れる場合」が認められています。たとえば、相続人が相続財産の存在をまったく知らず、しかも被相続人との交流もなかったような場合です。このようなときは、「相続財産の存在と内容を具体的に知ったとき」から3ヶ月以内に手続きを行えば足りるとされています。
ただし、少しでも被相続人に財産があると知っていた場合や、生活費を受け取っていたような事実があれば、原則通りの起算となる可能性が高くなります。これについては判例も多数あり、消極的な姿勢でいたことが必ずしも「知らなかった」と評価されるとは限らないので注意が必要です。
民法916条
相続人が相続の承認又は放棄をしないで死亡したときは、前条第1項の期間は、その者の相続人が自己のために相続の開始があったことを知った時から起算する。
限定承認の手続きと注意点
限定承認とは、被相続人の財産の範囲内でのみ債務を支払うという制度です。つまり、借金があってもプラスの財産の範囲内でしか支払わないという条件付きで相続をすることができます。限定承認は「家族全員が一緒にする」ことが前提で、相続人の一人でも単純承認や放棄をしていた場合、他の人が単独で限定承認を行うことはできません。
このように限定承認にはメリットがある一方で、手続きが煩雑であり、事後的に借金が増えていく可能性があるようなケースでは適用が難しくなることもあります。限定承認を選ぶ場合には、専門家のアドバイスを得るのが望ましいでしょう。
再転相続と選択の継続性
被相続人Bが亡くなり、その相続人Aも選択をしないまま亡くなったような場合、次にCが相続人になります。これを「再転相続」と言います(民法915条・917条)。この場合、CはB→Cへの相続だけでなく、B→Aの相続についても承認や放棄の選択をすることができます。
たとえば、CがBの相続を放棄した場合でも、AがすでにBの相続を承認していたら、CはA→Cの相続について責任を負う可能性があります。したがって、再転相続では「前の相続人の判断」も確認しておく必要があるのです。
また、Cが未成年や成年被後見人である場合には、民法917条の規定により、法定代理人が「相続の開始があったことを知った時」から熟慮期間を計算することになります。
民法917条
相続人が未成年者又は成年被後見人であるときは、第915条第1項の期間は、その法定代理人が未成年者又は成年被後見人のために相続の開始があったことを知った時から起算する。
相続財産の管理義務
相続が始まったとき、相続人は財産を引き継ぐかどうかに関わらず、相続財産をしっかりと管理する義務を負います。民法918条はこれを定めています。
ここでいう「管理」とは、たとえば不動産を放置せず維持したり、現金を安全に保管したり、あるいは価値を保つための必要な手続きを行うことを意味します。ただし、この義務は無制限に続くわけではなく、相続を承認・放棄するまでの一時的なもので、相続の意思表示をすることでその管理義務は原則として終了します。
しかし、家庭裁判所が相続財産管理人を選任した場合には、その者が代わって管理義務を負うことになります。また、相続人の行動が遅れることで損失が出る恐れがあるときなどは、裁判所が保存処分の命令を出すことも可能です。
民法918条
相続人は、その固有財産におけるのと同一の注意をもって、相続財産を管理しなければならない。ただし、相続の承認又は放棄をしたときは、この限りでない。
承認・放棄の撤回と取消し
相続においては、いったん「単純承認」「限定承認」「相続放棄」のいずれかの意思表示を行うと、それを後から変えることは原則できません。これは民法919条1項に定められています。つまり、一度放棄した後に「やっぱり相続します」とは言えない、というのが基本ルールです。
ですが、特別な理由があれば「撤回」や「取消し」が認められる場合があります。
民法919条
1. 相続の承認及び放棄は、第915条第1項の期間内でも、撤回することができない。
2. 前項の規定は、第1編及び前編の規定により相続の承認又は放棄の取消しをすることを妨げない。
3. 前項の取消権は、追認をすることができる時から6箇月間行使しないときは、時効によって消滅する。相続の承認又は放棄の時から10年を経過したときも、同様とする。
4. 第2項の規定により限定承認又は相続の放棄の取消しをしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。
熟慮期間内の撤回
撤回とは、まだ民法915条で定められた「3ヶ月の熟慮期間」内であれば、選択を変更できる制度です。たとえば、ある相続人が熟慮期間中に相続放棄の届け出をしたけれど、「やはり財産もあるらしいので承認に変えたい」と考えた場合、撤回が認められる余地があります。
この撤回は、915条の3ヶ月以内に行わなければなりません。しかも、一度放棄などをしたことが他の相続人に知られ、それに影響を与えている場合には、撤回が制限されることもあります。
相続放棄の取消し
撤回とは異なり、「取消し」はすでに効力が発生した承認や放棄について、後から無効を主張するものです。たとえば、次のような場合が典型です。
- 他人にだまされて放棄を届け出てしまった(詐欺)
- 誤解や勘違いによって誤った選択をしてしまった(錯誤)
- 脅されてやむを得ず放棄した(強迫)
このような事情があるとき、相続人は家庭裁判所に申立てて、相続の承認または放棄を取り消すことができます。
取消しには「追認」されるまでに行う必要があり、原則として「6ヶ月以内」に手続きを行わなければなりません(民法921条の準用)。また、取消しが認められるには、単なる気持ちの変化では足りず、民法上の「無効原因」が明確に存在していなければなりません。
限定承認の取消しと制限
限定承認については、特に取消しが認められにくくなっています。なぜなら、限定承認は手続きが複雑で、相続人全員の合意が必要とされるため、その途中で一部の相続人が勝手に取り下げてしまうと、全体の公平が損なわれるおそれがあるからです。
そのため、民法919条4項では、限定承認または相続放棄の取消しをする場合には、家庭裁判所への申立てが必要であることが明記されています。つまり、口頭で「やっぱりやめた」と言うだけでは済まされないのです。
無効原因の具体例
たとえば、相続放棄の届出書に勝手に相続人の印鑑が押されていたようなケースでは「偽造」とされ、無効となる可能性があります。また、「兄が勝手に手続きしたが、私は何も知らなかった」といった場合に、その兄が他の相続人の同意を得ずに提出したなら、「同意欠如」による無効が認められることもあります。
さらに、最近の判例(平成29年民法改正以降)では、申述書の提出後であっても、誤った申述に基づいていた場合には取消しが認められる事例が増えてきています。
承認・放棄を取消したのちの対応
無効が認められて承認または放棄の効力が取り消されると、その相続人は「初めから選択していなかった」ものとして扱われ、再び承認か放棄かを選ぶことが可能になります。
ただし、取消しが認められたとしても、相続人としての権利を行使し直すには、相応の手続きや期限の制限があります。たとえば、取消しが遅れると、取り消したくても時効によって権利が消滅することもあります(10年で消滅するのが通例)。
相続が発生すると、相続人には「承認」または「放棄」という選択が与えられます。その中でも「単純承認」は、最も基本的かつ原則的な相続方法です。単純承認とは、被相続人(亡くなった人)の財産や借金などを一切合切すべて無条件に受け継ぐことを意味します。
たとえば、父が亡くなり、自宅や預金といった財産が残されていた場合、それだけでなく住宅ローンなどの借金があっても、これをすべて「そのまま」受け継ぐのが単純承認です。相続人が何の手続きもしない場合、法律上は単純承認したとみなされます。
単純承認の法的効果
民法920条では、単純承認をした相続人は「無限に被相続人の権利義務を承継する」と定めています。つまり、被相続人が持っていた財産も借金も、良いものも悪いものも、すべてそのまま相続人のものになります。これは言い換えれば、被相続人が生前に抱えていた債務について、相続人が責任をもって返済義務を負うことを意味します。
単純承認を選ぶことで、自分が気づいていなかった借金が後から出てきたとしても、それを拒否することは原則できません。このため、単純承認には一定のリスクも伴います。
民法920条
相続人は、単純承認をしたときは、無限に被相続人の権利義務を承継する。でない。
法定単純承認とは
民法921条では、「明示的に単純承認の意思を示していないにもかかわらず、自動的に単純承認とみなされる行為」についても規定されています。これを「法定単純承認」と呼びます。
たとえば次のような場合は、本人に単純承認の意思がなくても、法律上は単純承認したものと扱われます。
- 相続人が相続財産を全部または一部でも処分(売却や譲渡など)した場合
- 限定承認や相続放棄の期限(通常は3ヶ月)を過ぎてしまった場合
- 相続財産を隠したり、私的に使ってしまった場合
つまり、相続人が財産を勝手に使ったり売却した時点で、黙っていても「単純承認した」と法律上みなされてしまうのです。特に注意が必要なのは、相続開始から3ヶ月が経過したとき。この期間を「熟慮期間」と呼び、相続人はその間に、単純承認・限定承認・放棄のいずれかを選ばなければなりません。
民法921条
次に掲げる場合には、相続人は、単純承認をしたものとみなす。
1. 相続人が、限定承認又は相続の放棄をした後であっても、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私にこれを消費し、又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし、その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は、この限りでない。
2. 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし、保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることは、この限りでない。
3. 相続人が第915条第1項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。
法定単純承認の取消しや例外
ただし、一定の場合には法定単純承認が無効になることもあります。たとえば、相続人が相続財産の一部をうっかり処分してしまったが、それが債務の存在を知らずにした行為であった場合など、例外的に取り消しが認められることがあります。
また、心神喪失や詐欺・強迫によって意思表示がなされたときは、その意思表示自体が無効となり、単純承認の効力も否定される可能性があります。たとえば、「他の相続人から脅されてやむを得ず財産を使ってしまった」などの事情がある場合は、法定単純承認が否定されることもあります。
このように、行為の内容と背景によっては「知らずに承認してしまった」ことが法的に問題とされない場合もありますが、裁判所の判断が必要になります。
民法921条3項に関する補足(財産の隠匿・消費・記載漏れ)
民法921条3項では、相続人が「相続財産を隠したり、使ってしまったり、わざと相続財産を申告しなかった」場合にも単純承認とみなされるとしています。これは悪意ある行為に対する制裁的な意味合いが強い規定です。
たとえば、相続人が被相続人の預金を密かに引き出して使っていた場合、それが発覚すれば単純承認とみなされ、借金も含めたすべての相続義務を負わなければならなくなる可能性があります。
単純承認のリスクと注意点
単純承認は、相続の中ではもっともシンプルな選択肢です。しかし、だからといって軽い気持ちで行うと、後になって思わぬ負債を抱えることにもつながりかねません。
特に注意すべきなのは以下の点です。
- 熟慮期間(3ヶ月)を過ぎると自動的に単純承認になる
- 財産の一部を処分すると意思に関係なく単純承認とみなされる
- 限定承認や放棄の申述には期限がある
- 相続財産に関しては一切の義務も含めて承継する
相続が始まった際には、専門家に相談する、財産や債務の状況を早めに調査するなど、早期の対応が重要です。
限定承認とは
相続が発生すると、相続人は故人(被相続人)の財産だけでなく、借金や保証債務などの「負の遺産」も引き継ぐ可能性があります。このとき、相続人は次の三つの選択肢の中から一つを選ぶことができます。
- 単純承認(すべてを相続する)
- 相続放棄(何も相続しない)
- 限定承認(プラスの財産の範囲内でマイナスの債務を引き継ぐ)
限定承認は、この中で最も「中間的」な選択肢です。
借金があるかどうか不明な場合、またはプラス財産とマイナス財産の差がわからない場合に、慎重に財産を調査したうえで、万一債務超過であったとしても相続人自身の生活を守るために利用される制度です。
限定承認が設けられた背景
かつての日本の相続制度(旧民法)では、「家督相続」といって長男などがすべての相続を受け継ぐ仕組みでした。この家督相続人には、相続放棄の自由がなかったため、借金もすべて背負うリスクがありました。
そこで、たとえ家族の代表として相続を受けても、「相続した財産の範囲を超えて債務を負わない」という考え方を導入する必要が生じ、現在の限定承認制度が誕生したのです。
限定承認が有効なケース
限定承認が特に有効となるのは、以下のようなケースです。
- 財産がプラスかマイナスか微妙なとき
- 借金の存在は知っているが、どこまであるか不明なとき
- 保証人としての責任を突然負わされる恐れがあるとき
- 故人が営んでいた事業を、相続人が継続したい場合
また、限定承認をすることで、万が一債務超過だった場合でも、相続人自身の財産から弁済する義務はありません。
限定承認の効果
限定承認を行うと、相続人は被相続人のプラス財産を一旦「清算」します。その後、残った財産があればそれを取得します。逆に、マイナスの債務が多くても、プラスの財産を限度としてしか返済義務は負いません。
これにより、相続人は自己の財産を守りながら相続に対応できるのです。
他の承認方法との比較
承認方法 | 債務の扱い | 相続財産の取得 | 特徴 |
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単純承認 | すべて引き継ぐ | すべて取得 | 手続不要だが債務も負担 |
放棄 | 一切引き継がない | 何も取得しない | 最もシンプルだが一切の権利なし |
限定承認 | 財産の範囲内で債務負担 | 財産清算後、残りを取得 | 清算主義によるバランス型 |
利用の少なさと今後の可能性
限定承認は、理論上とても有用な制度ですが、実際に利用されることは多くありません。理由としては、次のような点が挙げられます:
- 手続が煩雑(共同相続人全員の同意が必要)
- 裁判所への申立、財産目録の作成など負担が大きい
- 実務上の取り扱いに慣れていない専門家も多い
しかし、近年では負債を抱えた高齢者の相続や、保証人責任のトラブル回避のために、限定承認を検討する場面が増えてきています。